評論家の八幡和郎が、2023年8月1日付けでFacebookへこのように投稿している。
愛子さまのティアラ制作が見送られた報道に反応したものだが、よくこの短い文章の中に、これ程までの違和感を込められるものだ…と感心してしまうレベルだ。
>公務されないのにティアラ新調するわけにはいけないだろうが、新調しなければ公務しないでもいいものでない。
まずこの一文。敬意が微塵も感じられない文体と、ただのイチャモンでしかない言説。いくらSNS投稿とは言え、皇室に関する意見を度々メディアに発している言論人のものとは到底思えない。
ティアラ制作について、本当はどうでも良く、嫌味めいたマウントで「識者風」を吹かせたいだけなのが本音ではないのか。
この謎の上から目線は文章全体に徹底しており、それがこの人物の内面をも非常に明瞭に描写している。
>学業優先というが一般家庭の大学生でも家業手伝ったりアルバイトくらいする。
仮にこれが愛子さまへの言葉で無い場合でも、「コロナ禍」によってキャンパスライフの大半でリモート受講を強いられてしまい、残り僅かな貴重な時期を過ごしている人に向けて、あまりに無神経な言葉である。
八幡は大学で教鞭をとっているようだが、学生の置かれた状況に心を通わせる事なく、説教じみたマウントを繰り返しているのでは?と想像せずにいられない。
>国民は愛子様が頻繁にお姿を見せてくれることを望んでいる。そんな必要ないという人は皇室に何を期待している人たちなのだろうか。
常識を持った庶民であれば(前述のような、コロナ期の事情もあればなおさら)愛子さまが充実した学生生活を送られる事に喜びを感じ、その上でお出ましの機会があれば心を躍らせるものだろう。
八幡は知識人めいた言葉運びでカモフラージュしているが、その実は「もっと国民様の前に出てサービスせんかい!」という、最も下卑た種類の「歪んだ国民主権病」そのものと言える。
一方で、八幡はプレジデント・オンラインにこのような記事を寄せている。
読んでいただけばわかるが、あらゆる知的風装飾で誤魔化しているものの、主張の軸は典型的な男系固執論者のそれでしかない。むしろ、陛下に側室をなどと口走ってしまうストレートなアホよりも、陰湿でタチの悪い念慮を感じてしまう。
この投稿から氏に対して私が感じた事は、他ならぬこの投稿の末文で完全に代替できる。
>少なくとも愛子様を大事に思っている人でないことは確かだ。
もう、色々と嫌な気持ちになるので、最後ぐらいオチャラケ入れよう…。それは!